競馬を見ていると、よく「追い出しが早かった」とか「追っても伸びなかった」といったコメントを聞くことがある。
競馬ファンであれば「馬を追う」という競馬用語が何を意味するのか、何となくわかるだろう。
一方で、競馬の素人に対して「馬を追う」とはどういう意味なのか説明しようとすると、どのように説明すれば伝わるのだろうか?
おそらく、「馬に気合いを入れて加速させること」とか「騎手がグイグイ馬を押すこと」という説明をする人が多いと思うのだが、騎手が馬を追うときのあの”動作”はどんな感覚で、どんな意味があるのか、本当のところは私もよくわかっていない。
いや、わかっていないというより、あんな50kgほどの華奢な騎手1人の動作で本当に500kgの馬を加速させることができるのか疑問に思っていた。
武豊騎手が「馬を追う」ことについて説明している記事を読む機会があった。実は、あの騎手の動作を「追う」という言い方で呼ぶのは日本くらいで、欧米では「追う」ではなく「押す」というらしい。実際、武豊騎手は「馬を押す」という感覚で馬を追っていると説明していた。馬を押すことで前脚の着地をもう何センチか先に延ばすのだという。
確かに、全速力(いわゆるギャロップ)で走っている競走馬というのは脚だけでなく体全身を使って走っていて、特に馬の首にある強力な靭帯を伸ばしたり縮めたりすることでその力強い走りを実現させている。詳しくは以下の記事で解説している。
つまり、騎手が馬の頭を前に押し出すことで首の靭帯の伸び縮みを介助し、馬のストライド(歩幅)をより長くしようとするのが「馬を追う」ということなのだと理解できる。
理屈としてはそうかもしれないが、そうだとしても、武豊騎手が自ら言っているように「何センチ」というわずかな変化を与えられるかどうかというところが騎手(人間)の物理的なパワーの限界なのだ。
よく考えてみてほしい。パドックで厩務員さんが1人で競走馬をひいて歩いているが、あれは人間1人のパワーで馬をコントロールしているのではない。あくまで、競走馬が厩務員の指示を聞いて馬自身の意志で歩いているだけであって、馬が厩務員の指示を聞かずに暴れ出したら人間などひとたまりもない。馬に引きずられるか、馬に吹っ飛ばされて終わりである。
たかが人間1人の物理的なパワーで、筋肉ムキムキに鍛えられた1頭のサラブレッドをコントロールすることなど到底できないのである。武豊騎手も「馬が自分で動こうとしたら人は勝てないですから。力では絶対に勝てないし」と言っている。
私は、「馬を追う」というのは人間が物理的なパワーで馬をコントロールすることではなく、馬に「本気で走れ!」という人間の指示を伝えて従わせることが本当の意味だと考えている。
実際、武豊騎手も同じ記事の中で「馬もわかりますね。ムチを入れなくても、そういう姿勢(KB注:馬を追う動作のこと)になれば馬も走ります。」と言っている。つまり、馬を追うことが馬に対する”GOサイン”になって、学習してよくわかっている馬であればその指示に従って本気で走ってくれる、ということなのだ。
言い換えれば、学習不足でレースのことも騎手の指示も良くわかっていないような馬(新馬など)は、いくら騎手が追っても本気で走ってくれないから伸びないし、逆に、レース経験が豊富で本気を出さなくても自分(馬)にとって困ったことが起きないことを学習してしまった賢い馬も、同様にいくら追っても伸びなくなるわけだ。
川田将雅騎手があるYouTube動画の中で、自身の経験としてこんなことを言っていた。
「(リアアメリアが)走らずに終われることを早い段階で知っちゃった。新馬戦を楽に終わらせた。(自分が馬を追わずに)馬なりで終わらせた。あれがそもそも間違いだった」
リアアメリア(ローズSなど重賞2勝)という素晴らしい才能を持った馬が「本気で走らなくてもレースは終わるんだ」ということを学習してしまい、そのあとに騎手が追っても本気で走らなくなってしまったという話だ。リアアメリアの才能が凄すぎて賢すぎたことが、皮肉にも彼女の競走馬としての成功を遠ざけてしまったのだ。
馬への”GOサイン”という点では、もう1つ馬を追う上で大事なポイントがある。
それは、ハミの存在だ。
ハミについては以下の記事で詳しく解説しているが、要するに、騎手の”GOサイン”や”STOPサイン”を手綱を通じて馬に伝えるための中継役になる馬具がハミである。ハミが機能しなくなると、騎手がいくら指示を出しても馬には伝わらないわけだから、騎手にとっては命綱のように大事な馬具なのだ。
競馬中継でレースの映像を見ていると、最後の直線で騎手が馬を追い始めた時に、騎手が手綱を緩ませて両腕を外に大きく広げながら追っている姿を見かける(下画像の中央)。

これは、いわば「ハミを掛けなおす」という動作で、騎手が出すもう1つの”GOサイン”なのだ。つまり、手綱を緩めたり絞ったりすることで、ハミと馬の口にかかる圧力を抜いたり加えたりする連続的な刺激になって、それが馬に対して「本気で走れ!」という合図になるのだ。
動物というのは、同じ刺激を与え続けるとそれに慣れてしまうという性質があり、細かくいうと脳に刺激を伝える神経が疲労して刺激がうまく脳に伝わらなくなってしまうのだ。ハミに同じ力が加わり続けるとそれに馬は慣れてしまって、ハミから伝わる指示を馬の脳が感じなくなってしまうので、ハミにかかる力を緩めたり強めたりすることで、騎手の手綱を通した”GOサイン”が馬に伝わりやすくなるのである。
とにかく、「馬を追う」という騎手の動作は馬への”GOサイン”であることに間違いはなく、この騎手の指示がしっかり馬に伝わった上で、馬がその指示に正しく従った時にこそ、初めて「馬を追う」ことの意味が我々の目に見える形で現れるのだ。
【参考書籍】
「サラブレッドに「心」はあるか」(楠瀬良著、中央公論新社)
「馬のこころ」(ジャネット・L・ジョーンズ著、パンローリング)