馬券で失敗した経験をメモっていこう

馬券で失敗した経験をメモっていこう

先日、「未来は予測できない」という内容の記事を書いたが(以下参照)、かといって馬券をやめたわけではない。

「未来は予測できない」という謙虚な姿勢を保ったうえで、できるだけ馬券が当たる確率、もっと言えば、馬券で儲かる確率を上げていくという努力はしていきたいのである。どうせやるなら、そのゲームに勝ちたいではないか。

どこまでいっても、馬券はギャンブルである。勝つか、負けるかだ。

いくら確率を高めたところで、未来は予測できないのだから、「絶対に当たる」とか「絶対に儲かる」などと言えるはずがない。確率が高いと思う馬(馬券)にヤマをはって、あとは祈るだけである。当たれば勝ち、外れたら負け。ただそれだけだ。どんなに確率が高い馬券も、100%でない限り外れることはある

いくら私がそう言っても、馬券が当たれば「ほら、言ったとおりだろ」という感じで自分が未来を予測できたかのように錯覚する人は多いだろうし、馬券が外れたら「こんなはずではない」と自分の負けを認めずレース結果に文句を言いだす人も多いだろう。

勝つか、負けるか。結果は結果。それ以上でもそれ以下でもない。今回は勝ったが、次は負けるかもしれない。今回は負けたが、次は勝つかもしれない。確率とはそんなもので、自分たちで運命(勝つか負けるか)を決めることはできない

結局は、どんな結果になろうと自分が納得できるかどうかが重要だと思うのである。

自分たちで運命を決めることはできないが、運命を受け入れることができるかどうかは自分次第だ。

どんなに頑張って予想しても、どんなに確信がある馬券であっても、馬券がギャンブルであり確率論である以上、馬券が外れる運命は変えられないわけで、「今回は運が悪かったが、馬券や予想自体に悔いはない」というくらいに勝負に対して自信やプライドを持つことができれば、結果に一喜一憂することはないはずである。

裏を返せば、結果に一喜一憂する人たちというのは、生半可な気持ちで勝負している(お金を賭けている)可能性があるわけで、私にはかなり”危ない”人たちに見えてしまう。遊びでやっているうちはいいが、そのうちギャンブルの沼にはまって抜け出せなくなる。思い当たるフシがある人は、早めに自分の行動や考えを見直してほしい。

馬券という勝負に対していかに自信やプライドを持てるか。簡単なことではないが、おそらく、”馬券の勝負師たち”はそれぞれに理論や信念を持っていて、それを拠りどころに勝負に臨んでいるのではないだろうか。

しかし、「成功論」というのはあっさり崩れてしまうことが多い。私自信も馬券を買う中で散々苦い思いをしてきた。「これなら勝てる」という理論は、過去の成功体験が元になっている場合が多く、新しい未来に全て対応できるわけではないからである。これこそ、「未来は予測できない」という姿勢が重要だとする所以である。

一方で、「失敗論」というのは「成功論」に比べて再現性が高い。なぜなら、一般的に人間というのは成功体験に比べて失敗体験の方が数も種類も多いはずだからだ。それに、人間は失敗した経験はよく覚えているが、失敗しなくなって成功するようになると、その成功はその人間の「当たり前」になってしまうので記憶には残らない。

数少ない成功体験を持ち出して脆弱な成功論を組み立てるよりも、失敗経験をたくさん積み重ねて確かな失敗論を組み立てる方がよほど自分のためになる。「これなら勝てる」ではなく、「こうすると負ける」という理論は勝負に対する慢心や迷いを取り払ってくれるはずだ

さらに言えば、失敗がほとんどなくなったときに成功が訪れる、ということであり、失敗論を積み重ねた先に成功論があるということだ。株で100億円以上を稼いだという個人投資家のテスタさんが「負けなければ自ずと勝ちとなる」ということを仰っていたが、馬券に関してもまさにそのとおりだと思う。まずは馬券で負ける回数を減らす、つまり、外れ馬券をできるだけ買わないようにするということが勝つための第一歩であり、それこそが唯一の勝ち筋だと考えている。

というわけで、私はこれから自分の馬券の失敗経験をブログに記録していこうと思う。もちろん、自分自身の「失敗論」を構築していくためだ。この記事を読んでいる皆さんも、決して私のように公開する必要はないが、各自で失敗経験を日記などにメモっておくと、将来いいことが起こるかもしれない。これも「未来は予測できない」という点では、絶対ではないのだが。

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