新プロジェクトX「駆けろ!オグリキャップ〜奇跡はおこせる〜」の感想と補足

新プロジェクトX「駆けろ!オグリキャップ〜奇跡はおこせる〜」の感想と補足

ブログのアナリティクスを見ていて「(自分が書いた)オグリキャップの記事が異常に読まれているな・・・」と気づいたとき、その数日前にNHKの「新プロジェクトX~挑戦者たち~」でオグリキャップの特集が放送されていたことを思い出した。

最近は便利な世の中で、見逃した番組をネットで視聴できるようになったおかげで※、”追っかけ再生”で(この言葉も古いかもしれないが)新プロジェクトXのオグリキャップ回を見ることができたわけである。

※NHK ONEで2026年7月25日(土)20:52まで視聴可能

番組を見た感想と印象的なシーン

普段は全くと言っていいほどテレビを見ないので、「プロジェクトX」が「新プロジェクトX」に生まれ変わったことすら知らなかったが、実際に放送を見てみると、番組の作り自体はそこまで変わっていなかったので見やすかった。

ゲストとして武豊騎手、小栗オーナーの奥さんと娘さん、そして瀬戸口厩舎の元厩務員が出演されていた。

中央競馬時代のオグリキャップを担当していたのは出演していた厩務員ではなく、池江泰郎元調教師の実兄である池江敏郎厩務員だったのだが、かなり前に亡くなっていたことを番組を通じて初めて知った。まだ70歳だったという。

武豊をゲストとして呼ぶことに対しては「安易な考え方だな」と最初は冷めた見方をしていたが、番組を見ているうちに「そうか。武豊を通して第三者としての視点と当事者としての視点の両方からオグリキャップを見ることができるからか」と理解した。これは小栗さんをゲストに呼んだことも同じく言えることで、中央競馬への移籍によって大事な所有馬を手放してしまった前オーナーがオグリキャップをどう見ていたのか、という当事者とも第三者とも言えない絶妙な視点を取り入れることで、番組の内容をより深いものにしようとしたのである。

実際、内容自体に目新しい情報はなかったのだが、様々な視点でオグリキャップの物語を見ることができるので、不思議と新鮮な気持ちで番組を最後まで見ることができた。このあたりは、”プロジェクトXチーム”がこれまで培ってきた技術や知見の賜物だろう。

最も印象的なのは、武豊が”怪物”オグリキャップを倒すために研究に研究を重ねた結果が、最後の有馬記念での鮮やかで劇的な勝利につながったのではないか、という番組内での考察だった。武豊が「専門的な話になりますけど・・・」と前置きをしたうえで、オグリキャップの「手前(てまえ)」の癖について力説しているシーンも面白かった。

そんなわけで、全体的には満足できた新プロジェクトXだったが、競馬に詳しくない人やオグリキャップについて詳しくない人のために、いくつか補足をしたいと思う。

オグリキャップの生まれもったハンデはのちの武器になった

オグリキャップの誕生のシーンで、生まれた直後にすぐに立つことができず、その理由が右前脚(前肢)が外側に曲がっていたためだと紹介された。

実は、オグリキャップの生産牧場である稲葉牧場の場長だった稲葉裕治さんは、一人で仔馬をとりあげたのはオグリキャップが初めてだったそうだ。それが、自分が引っ張り出したことで脚が曲がってしまったではないか、と落ち込んでいたのだという。

しかし、裕治さんの父が右前肢をなんとか矯正しようと、見よう見まねで学んだ技術で仔馬だったオグリキャップの削蹄を自らやり続けたのである。

結果的に矯正できたのかはわからないが、稲葉さんたちが愛情を込めて育てたオグリキャップの右前肢は、彼の最大の武器になった。

馬には”利き脚”というのがあり、人間と同じように、より力を入れやすい利き脚の方を使いたがるのだ。そう、オグリキャップは、ハンデだと思われていた右前肢が利き脚になっていた。武豊がオグリキャップの手前の癖について力説していたのは、オグリキャップが右手前(みぎてまえ。右前肢を先に前に出して走る走法)で走る癖が強いので、馬が疲れないように騎手が意識して左手前(ひだりてまえ。左前肢を先に前に出して走る走法)に変えてやる必要があるということを言っていたのである。

オグリキャップを担当した調教師や調教助手は、口をそろえて「オグリキャップの前肢の掻き込むパワーが異常に強い」と指摘している。しかも、彼の利き脚である右前肢のパワーは次元が違うという。

その証拠に、劇的な勝利を飾ったラストランの有馬記念で、レース直後にオグリキャップの右前肢の蹄鉄(馬の蹄(ひづめ)に装着する金属製の馬具)がスルリと抜け落ちてしまった。何本もの釘で蹄に打ち付けた蹄が抜け落ちるくらい、オグリキャップの右前肢は最後まで地面を強烈に叩き続けたのである。

オグリキャップのハングリー精神は母の影響か

ラストランの有馬記念の前には、飼い葉(馬のエサ)を残してしまうほどに、オグリキャップの食欲も元気もなくなっていた、と番組内で紹介された。

オグリキャップの有名な話として、食欲が異常に旺盛であるという点がある。どんな長距離を移動しても、どんな激しいレースや調教をこなしても、大きなバケツのような缶にたっぷりエサを入れてやると、いつもあっという間に食べつくしてしまうのだ。最後には「もっとくれ」とばかりにペロペロ缶の底をなめてピカピカにしていたという。

だからこそ、池江厩務員も瀬戸口調教師も、引退間近のオグリキャップの意気消沈した姿を痛々しく思っていたのだろう。武豊が番組内で「まだやれるはずだ」というようなことを池江厩務員がブツブツ言っていたと話していたが、それは有馬記念のレース直前の池江厩務員の心境であって、その数週間前にジャパンカップで惨敗した直後は「よく頑張った。もう走らんでええ。ゆっくり休んでくれ」と労いや諦めの気持ちが強かったことを池江本人がのちに証言している。

なぜそこまで食欲旺盛になったのかというと、実は、これも稲葉牧場での出来事が関係しているようだ。

なんとか生まれて立ち上がることができたオグリキャップだったが、さらなる受難が待っていた。母ホワイトナルビーの母乳の出が悪く、みるみるうちにやせ細ってしまったのだ。

さらに悪いことに、当時、稲葉裕治の母がガンにかかってしまい、裕治の父は母の看病のために牧場の仕事が手につかなくなってしまった。牧場の一切の仕事を一人でこなさなければならなくなった裕治は、わかっていながらオグリキャップのやせ細る姿をどうしてやることもできなかった。

すると、離乳したオグリキャップは、雑草だろうとなんだろうと放牧地のありとあらゆる草を食べつくしてしまうくらい食欲が旺盛になった。「生きなければ」という彼の生まれ持った心の強さは、飢餓状態を経験することでさらにハングリー精神を研ぎ澄ませることになったのだろう。

どんな馬にも負けたくない。負けられない。

そんなオグリキャップの類まれなる勝負根性は、彼にふりかかった様々な困難や彼が受けたたくさんの愛情によって育まれたものなのかもしれない。

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