Number(文藝春秋)は競馬雑誌をつくるべき――優駿はもう読まない

Number(文藝春秋)は競馬雑誌をつくるべき――優駿はもう読まない

もう、タイトルどおり。

昔から「優駿」は読む気になれなかったが、今回、あらためてその思いが強くなった。

私が競馬に興味を持ち始めた1996年頃は、楽しい競馬雑誌が色々あった。「サラブレ」や「ダービーを一生遊ぶ」など、「これぞ雑誌」というような見ていてワクワク、ニヤニヤする記事が雑誌上に溢れていたのだ。

それが今や、競馬予想メインの雑誌を除くと、競馬専門のスポーツ雑誌は「優駿」のみという状況である。

「今さら雑誌なんて流行らないでしょ」という指摘はごもっとも。ネット時代の波に飲み込まれた”オールドメディア”に何を今さら期待するのだ、ということではあるのだが、それでも、私は競馬雑誌の古き良き思い出が忘れられない。

ネットがなかった頃、競馬に関する情報は月1回発行される競馬雑誌が頼りだった。毎週発行される「競馬ブック」も当時はあったが、競馬予想よりもスポーツやエンタメとしての競馬にしか興味がなかった私には、「競馬ブック」の内容はある意味で物足りなかった。

ネットでいくらでも競馬の最新情報が得られるようになった今日では、「優駿」はもちろん、「競馬ブック」ですら情報の古さを感じてしまうほどである。

ましてや、「優駿」に載っている情報など、果たして雑誌にしてまで伝えるほど価値があるのだろうか?

「優駿」の記事の中にも、例えば海外競馬の近況など、ネット上にはあまり見られないような貴重な情報はあったりするが、「今さら数週間前のレース回顧の記事を見せられても・・・」というガッカリ感がつきまとってしまう。

ご承知の方もいると思うが、「優駿」の歴史は古く、戦前の日本競馬会の頃からの貴重なアーカイブを保有していることは価値として高いのだが、どうしても、JRAの広報誌の枠を超えない内容になってしまい、逆いうと、JRAに都合の悪いことは一切掲載されない”偏向雑誌”になっている。

「優駿」が無料で自治会の回覧板に混ざって家に届いたとしても、パラパラっと写真を眺めただけで次の家に届けることになるだろう。

その点、さすがは文藝春秋。スポーツ専門雑誌「Number」は、私にとってオアシスのような存在だ。

「Number」は競馬雑誌ではないのだが、定期的に競馬特集を組んでくれる。それだけでもありがたいのだが、記事のクオリティが「優駿」とは比べ物にならないくらい素晴らしいのだ。

「Number」の2026年6月号でディープインパクトの特集が組まれていたので、早速読んでみた。

「優駿」の6月号はパラパラッとめくって終わり、という感じだったのに対し、「Number」の方は思わず記事に見入ってしまって、気づいたらあっという間に時間が過ぎていた、という没入感があった

やはり、”お役所(JRA)が機械的に仕上げた広報誌”とは違って、雑誌編集社の意地というか、プライドのようなものを感じさせるような、物語と庶民の目線を大事にした読み物に仕上がっている。これは、どの号を見ても同じである。

私が尊敬する菊池寛(文学者で馬主)が創設した文藝春秋の、大衆文学に対するリスペクトが「Number」にも息づいている。

ディープインパクト特集で、誰が佐藤哲三さん(元騎手、競馬解説者)をフィーチャーしようと思いつくだろうか?少なくとも「優駿」にはできない芸当である。これこそ、常識にとらわれず、大衆の好奇心をつかんで離さない文藝春秋の凄みといえよう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA