今回解説するニュースはこちら。
JRAは6日、昨年京都競馬場で行われた将棋の第38期竜王戦七番勝負第4局で藤井聡太竜王が勝利し、永世竜王資格を獲得したことに伴い、同競馬場内に記念碑を設置すると発表した。
2026年2月6日スポニチ「藤井聡太竜王の記念碑を京都競馬場に設置 25日除幕式に武豊出席」
除幕式は25日に行われ、藤井竜王のほか、日本騎手クラブ会長の武豊らが出席する予定。記念碑はステーションゲート隣の稲荷社付近に設置される。
将棋に興味がない競馬ファンは「ふーん」という感じで流してしまいそうなニュースだが、よく考えてみれば「なぜ藤井聡太さんの記念碑を?」と素朴な疑問がわいてくる。 京都競馬場には、すでにシンザンやコントレイルといった名馬の像もあるし、同競馬場で非業の死を遂げたライスシャワーの石碑もある。
藤井聡太さんの凄さは素人でもわかるが、競馬界の”レジェンド”である武豊騎手を差し置いて記念碑とは・・・しかも、武豊騎手は記念碑の除幕式に出席する側ではないか。
経緯を調べていく中で、競馬界と将棋界の間に起こっていた”歴史的な変化”がわかってきた。
ニュースの本質

このニュースの本質は、「京都競馬場」とか「藤井聡太」という単なる固有名詞の問題ではなく、もっとスケールの大きな話である。 すなわち、このニュースは、競馬界と将棋界の距離が一気に接近して、異文化同士が融合しようとしている、という話であり、大袈裟な言い方に聞こえるかもしれないが、今回設置される記念碑は、競馬史にとって歴史的な瞬間が起こったという証のような存在になるかもしれないのだ。
なぜ、そんなことが起きようとしているのか? 競馬界と将棋界に結ばれた深い絆は、今後の両者にとってどんな効果をもたらすのか?
ニュースまでの経緯

今回のニュースが出てくるまでの簡単な経緯は、上図のとおり。
重要なことは、昨年2025年11月に京都競馬場で開催された竜王戦(将棋界のトップを賭けたタイトルマッチ)が、京都競馬場100周年記念事業として開催されたということ、そして、その記念すべき竜王戦で、藤井聡太さんが「永世竜王」を獲得(史上最年少)し、将棋界にとっても歴史的な偉業が達成されたということである。
すなわち、京都競馬場という場所で、競馬界と将棋界の両者にとって歴史的な出来事が同時に起こったのだ。
これに付け加えると、そもそも競馬場で将棋の公式戦が行われること自体が初めての出来事である。 また、今回の竜王戦の開催地は公募によって決まったものであり、日本中央競馬会(JRA)は自らの意志で開催地に立候補していた。つまり、京都競馬場で竜王戦が行われたのは、決して偶然の結果ではなく、JRA(競馬界)として明確な意思をもって将棋界に最接近した結果だったのである。
ニュースの深堀り解説
なぜ、JRAは京都競馬場で竜王戦を開催しようと考えたのか? 仕掛人が誰だったのかについては、結局、調べきることができなかった。
2025年は、京都競馬場が現在の場所(京都府京都市伏見区、通称「淀(よど)」)に開設されて100周年という節目にあたり、当然、何かしら記念のイベントを開催しようと考えたのだろう。 しかし、数あるイベントの中から「将棋の公式戦(竜王戦)を開催しよう」という決定に至った経緯には、ある意味で”必然的な要因”があったと考えている。
過去5年の竜王戦開催地

過去5年間(2021~2025年)に開催された竜王戦七番勝負の開催地は、上表のとおり。
「七番勝負」とは、現チャンピオン(竜王)と挑戦者との決勝戦のことであり、竜王戦のクライマックスとして最も注目を集める対局である。
先述のとおり、この注目の対局を行う開催地は、公募によって決められている(一部の対局は除く)。竜王戦については、「七番勝負」という名前のとおり、計7戦(局)のうち先に4勝した方が優勝というルールである。
つまり、七番勝負を行うにあたって計7か所の開催地を準備するのだが、対戦者のどちらかが4連勝してしまうと、残りの3か所の開催地では対局を行わないという事態になってしまう。
その証拠に、上表を見てもらうと、開催年によって開催地の数がバラバラである。例えば、2025年は京都競馬場をはじめ、4か所の開催地で対局が行われているが、2024年には6か所の開催地で対局が行われている。 すなわち、対局が行われた数だけ”開催地”として記録が残るということであり、ここに名前のない開催地(2025年は3か所、2024年は1か所)も、実際は”開催予定地”として対局の準備をしていたし、将棋の歴史に名を残す権利があったのである。
京都競馬場が第4局に設定されたのは偶然か?
2025年(第38期)の竜王戦七番勝負で、京都競馬場は第4局の開催地として設定されていた。結果的に、藤井聡太さんは第1局から4連勝して優勝。もし、第5局から第7局までのどこかで京都競馬場が開催地になっていたとしたら、せっかく立候補して準備したのに京都競馬場では対局しない、ということになっていたわけだ。
開催地を決定したのは、竜王戦の主催者である日本将棋連盟と読売新聞社である。 日本将棋連盟によると「開催地選定の理由や、選外開催地の発表は行いません」とのこと。
京都競馬場が第4局の開催地に設定されたのは偶然だろうか? それとも、主催者側とJRAの間で何らかの交渉なり事務折衝があったのだろうか? 事実関係は不明だが、私としては、第4局に京都競馬場を設定する見返りとして、藤井聡太さんの記念碑を競馬場内に設置するという提案がJRA側からなされたのではないかと、勝手に推察している。
競馬と将棋の意外な共通点
私の勝手な推論は置いておくとしても、昨日今日の間柄でこのような歴史的瞬間が用意されたわけではないであろう。繰り返しになるが、このニュースの本質は、JRAと日本将棋連盟が歴史上最も近い関係性になっているということだ。
調べてみると、そもそも競馬界と将棋界の間には浅からぬ関係性や共通点があった。

上図で、競馬と将棋の主な共通点を4つ挙げてみた。
実は、日本の近代競馬とプロの将棋というのは、歴史的に見ても文化的に見ても”何となく”近いところにあった。 京都競馬場が現在の場所に設置された100年前といえば、ちょうど日本将棋連盟(の前進である東京将棋連盟)が設立された頃である。京都競馬場も、日本将棋連盟も、いわば同い年だったわけだ。
そして、歴史を重ねるごとに競馬も将棋も”スポーツ文化”として成熟していった。技術の発展や社会的ブームを経て、今や両業界とも500万人以上と言われる競技人口(ファン)を抱えるまでに成長。競馬も将棋も、単なるギャンブルや単なるゲームを超えて、日本の重要な文化にまで昇華したということである。
その両業界の発展に大きな影響を与えたのは、スターの存在だろう。
武豊騎手と羽生善治さんは、ともに昭和60年代にデビュー。若くて才能のある2人は、実力もさることながら、スターとしての華やかさも相まって、当時からメディアで取り上げられることが多かった。そして、現在も2人は現役トップを張っており、ここまで競馬界と将棋界を引っ張ってきた紛れもなくレジェンドだ。
ちなみに、”競馬界のレジェンド”である武豊騎手は、小学校時代に囲碁・将棋クラブに入っていたという。
藤井聡太さんと競馬の間の関係性を調べてみたが、特にこれといったものは見つからなかった。 ただ1つ。実は、藤井聡太さんは午年(うまどし)生まれだった。これは、今回のニュースを何か暗示するものではないか?
もっとも、藤井聡太さんは記者に「来年は午年ですけど・・・」と聞かれると、「(言われて)今気づきました」と、2026年が午年であることも、自身が午年生まれであることも全く意識していないことを正直に答えていた。
いや、それでいい。それでこそ、”将棋界のレジェンド”なのだ。
最後に、最も根本的な共通点を言えば、「駒(こま)」という言葉。将棋盤の上に置く王将とか飛車といった駒のことだが、実は、元をたどれば「駒」という言葉は「馬(ウマ)」を指す言葉だった。古い歴史書を見ると、馬を指して「駒」という文字が記述されている。
どういう経緯で将棋に「駒」という言葉が使われるようになったのかはわからないが、先人たちは将棋の駒を馬(あるいは騎馬)に見立てて、「ああでもない、こうでもない」と戦略をこらして将棋を打っていたのだろう。
これに関連して、1つ面白いコメントを見つけた。
今回の京都競馬場での竜王戦を控えて、元竜王で競馬ファン歴10年の糸谷哲郎八段がこのように語っていたのだ。
競馬の予想は、将棋の勝負と似た感覚がある
2025年11月7日読売新聞オンライン「競馬場で初の将棋の公式戦…竜王戦第4局で藤井聡太竜王は京都競馬場の貴賓室で対局、バルコニーからはコースを一望」
確かに、レースでの騎手同士の駆け引きもそうだし、馬の能力や展開などを考えて戦略的に馬券の予想をすることも、将棋での勝負に通ずるところがあるのかもしれない。
競馬と将棋は、ともに馬(駒)を使った知略戦というところで親和性が高かったのかもしれない。
JRAは以前から将棋のイベントを開催していた
昔から何となく近い存在であった競馬界と将棋界は、お互いに意識し合っていたことは事実であろう。
実際、今回の竜王戦が開催される以前から、両者はイベントを通じて交流を続けていた。
先述した武豊騎手と羽生善治さんは、デビュー時期も注目された経緯も似ていたことから、お互いに異なる分野でありながら比較されることも多く、また、対談する機会も多くなっていた。
2000年頃からは女流棋士が競馬場で対局の指導をするというイベントが始まり、プロ棋士が競馬予想をするというイベントも行われたりした。
特に、2025年以降は交流イベントが顕著に増加しており、明らかに京都競馬場での竜王戦を意識した交流が行われていたのである。
そして、2025年竜王戦第4局での藤井聡太さんの偉業達成によって、京都競馬場は競馬界と将棋界の絆を深める”聖地”となり、その証として記念碑が建てられることになったと見ることができる。
ニュースから考えられること
どのような記念碑が建つのか、JRAと日本将棋連盟がどう関与しているのかについては、調べてもわからなかった。
そこは、除幕式が行われる2月25日を楽しみに待ちたいと思う。
先述のとおり、京都競馬場は今後、競馬界と将棋界の交流の聖地として、ますます多くのイベントやその他の共同事業が行われることになるであろう。
例えば、竜王戦などの将棋の公式戦を定期的に開催することや、公式戦以外のJRA主催トーナメントを開催することなども企画としては考えられる。
ただ、単なるイベントの開催だけではこれまでと変わらない。今回の記念碑はそこを超えた両者の関係性の証になるのだ。
すなわち、両業界の貴重な人材やたくさんのファンたちが、お互いに交流してお互いの文化を理解し、文化としての成熟度を高め合うということを期待すべきだ。単純な話、競馬ファン500万人と将棋ファン500万人が力を合わせれば、1000万人近い巨大な文化が出来上がるのである。
文化は永久に存在するとは限らない。ふとした拍子に失われる文化もある。 競馬文化研究家の私としては、この貴重な関係性を無駄にせずに、しっかりと将棋の文化から学べることを吸収して、競馬文化の継承と発展を図ってほしいと願っている。
参考記事・参考サイト
「藤井聡太竜王の記念碑を京都競馬場に設置 25日除幕式に武豊出席」(2026年2月6日、スポニチ/netkeiba.com)
「競馬場で初の将棋の公式戦…竜王戦第4局で藤井聡太竜王は京都競馬場の貴賓室で対局、バルコニーからはコースを一望」(2025年11月7日、読売新聞オンライン)
「【有馬記念】日本将棋連盟にJRA理事長特別表彰 認知拡大への貢献評価「これからも広く交流できれば」」(2025年12月25日、スポニチ競馬スポウマ)
読売新聞オンライン「京都競馬場100周年記念 第38期竜王戦七番勝負第4局 京都淀対局」
JRAホームページ「京都競馬場における第38期「竜王戦」の対局実施」
日本将棋連盟ホームページ「第36~38期竜王戦の開催地を公募します」
