【血統タイムトラベル】ドウデュースの血統をめぐる旅【世界的名馬との意外な関係】

【血統タイムトラベル】ドウデュースの血統をめぐる旅【世界的名馬との意外な関係】

今月23日、いよいよ今年2024年の春競馬を締めくくる夢のグランプリレース、宝塚記念が開催されます。

阪神競馬場の改修工事のため、今年の宝塚記念は京都競馬場で開催されますが、京都競馬場での開催はなんとディープインパクトが勝った2006年以来、実に18年ぶりとなります

「そんなに昔だったかあ・・・」とディープインパクトの雄姿を思い返しながら、そのディープインパクトに乗っていた武豊騎手が今年の宝塚記念で乗る予定のドウデュースにふと思いが巡りました

競馬の途方もなく長い歴史を振り返るのに最も確実な方法で、最もロマンを感じることができるもの。それが、血統です。

今回は初めての試みとして、血統を歴史とともに楽しむ旅「血統タイムトラベル」と称して、ドウデュースの血統をじっくり見てみようと思います。今年の宝塚記念のレース展望にもつながることを期待して。

ドウデュースのプロフィールと生い立ち

ドウデュース
(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Do_Deuce_Tokyo_Yushun_2022(IMG2).jpg?uselang=ja)

まずは、ドウデュースのプロフィールを見てましょう。

ドウデュースのプロフィール
生年月日 2019年5月7日
 ハーツクライ
 ダストアンドダイヤモンズ(母父 Vindication)
馬主 キーファーズ
生産者 ノーザンファーム
調教師 友道康夫(栗東)
通算成績 13戦6勝(23’GⅠ有馬記念、22’GⅠ日本ダービー、21’GⅠ朝日杯FS)

言わずと知れた、第89代の日本ダービー馬。ですが、ファンの皆さんにとって一番印象が強いのは昨年(2023年)の有馬記念での見事な復活劇ではないでしょうか?このレースは何度見ても鳥肌が立ちます。

意外と忘れがちなのが、2021年の2歳時に朝日杯フューチュリティステークスでGⅠ初制覇を果たしていたこと。有馬記念のインタビュアーが思わず「(有馬記念が)GⅠ2勝目」と間違って言ってしまったくらいですから(そのあと武騎手が自分で訂正していました)。

ドウデュースの新馬戦は2021年9月の小倉でした。ここで、のちの重賞勝ち馬ガイアフォースフェーングロッテンを破ってデビュー勝ちを収めました。

ノーザンファームで生まれキーファーズの所有馬に

ドウデュースは、株式会社キーファーズ(代表:松島正昭氏)の所有馬。所有に至った詳しい経緯は調べきれませんでしたが、セリで購入されたというわけではなく、おそらく直接生産者から購入(いわゆる庭先取引)したのでしょう。

そのドウデュースが生まれ育った場所は、いまや日本一、どころか世界でも指折りの牧場といっていいでしょう、北海道のノーザンファーム。2019年5月7日に母ダストアンドダイヤモンズの6番目の子供としてドウデュースは誕生しました

日本でハーツクライを種付けされたダストアンドダイヤモンズ

母ダストアンドダイヤモンズは、アメリカで競走生活を終えた後、本国で繁殖牝馬となります。

アメリカでは3頭の馬を産みましたが、いずれも目立った活躍はできず、4頭目の子供(父Pioneerof the Nile)を身ごもった状態で日本に輸入されました

ダストアンドダイヤモンズは、2017年にノーザンファームで4頭目の子供(持込馬のフラーレン)を産んだ後、日本での最初の種付けはディープインパクトが選ばれます。この結果、2018年に生まれたのが現在も現役で走っているロンズデーライト

日本での2回目の種付けに選ばれたのがハーツクライ、そして、生まれたのがドウデュースです

ドウデュースの5代血統表

では、そんなドウデュースの5代血統表を見てみましょう。こちらはnetkeiba.comさんのサイトから引用させていただきました。

ドウデュースの5代血統表(出典:netkeiba.com)

いかがでしょうか?

私の第一印象は、とてもバランスがよく、米国色の強い血統、というものです。

理由の1つは、まずクロス(インブリード)が少なく、血が濃すぎないというところ。近年は世界的に血統の集約化(集中化)が進んでいて、近親交配の傾向が強くなってきている中、こういったクロス(同じ血)が少ない血統も珍しくなってきました。

もう1つは、系統の違う血がまんべんなく血統表を埋めていること。これについては、説明し出すと長くなるのでここでは詳しく説明しませんが、血統に詳しい方なら同意していただけるのではないでしょうか。

ただ、今回の記事の目的は、血統表の中身を論じることではなく、血統表を頼りに競馬の歴史(いわばファミリーヒストリー)を旅気分で味わうことですので、血統表を眺めるのはこのくらいにして、本題に進みましょう。

2008年生 ダストアンドダイヤモンズ(母)

血統表にある馬の中で、一番最近産まれた馬は2008年生まれのダストアンドダイヤモンズです。

ダストアンドダイヤモンズのプロフィール
生年月日 2008年1月6日
 Vindication
 Majestically(母父 Gone West)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 11戦6勝(12’GⅡギャラントブルームH、13’GⅢシュガースワールH、12’GⅠBCフィリー&メアスプリント2着)

同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

2008年生まれの世界的な名馬
ロイヤルデルタ(米国)
アニマルキングダム(米国)
フランケル(英国)
デインドリーム(独国)
エアロヴェロシティ(香港)
オルフェーヴル(日本)
ロードカナロア(日本)

世界最強マイラーのフランケルを始め錚々たる名馬の名前がありますが、アメリカには正直インパクトのある馬はいなかったようです。少し前の世代にはレイチェルアレクサンドラという化け物の牝馬がいたんですけどね。

ダストアンドダイヤモンズ自身は、現役時代11戦6勝。6勝は全てアメリカのダートレースで、距離は1,200mから1,300mまで。4歳時の2012年に重賞を2勝し、さらにGⅠブリーダーズカップフィリー&メアスプリント(ダート1,400m)で惜しくも2着に敗れています

YouTube 2012 Breeders’ Cup Filly & Mare Sprint(Breeders’ Cup World Championships)

ダートスプリンターとして大きく飛躍した4歳で早くもキャリアを終え、引退したダストアンドダイヤモンズは翌2013年からアメリカで繁殖生活に入りました。

そんなダストアンドダイヤモンズは、2008年1月6日にMajesticallyの初仔として生まれました。当時、父Vindicationの産駒には活躍馬がいませんでしたし、Majesticallyも現役時代はこれといった活躍がありませんでしたので、ダストアンドダイヤモンズは生まれた当時それほど期待はされていなかっただろうと思います。そんな馬が重賞2勝、GⅠ2着という成績を残したのですから、競走馬の生産や血統というのは面白いものです。

2002年生 Majestically(母方の祖母)

ダストアンドダイヤモンズの母、つまり、ドウデュースにとって母方(母系)の祖母にあたるのが、2002年1月13日にアメリカで産まれたMajesticallyです。先にいいますが、「祖母」とはいいつつ、ドウデュースの父ハーツクライが生まれた2001年の翌年に生まれていますので、お父さんとお祖母さんがほぼ同い年ということになります。

Majesticallyのプロフィール
生年月日 2002年1月13日
 Gone West
 Darling Dame(母父 Lyphard)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 6戦2勝

Majesticallyの同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

2002年生まれの世界的な名馬
イングリッシュチャンネル(米国)
インヴァソール(米国・宇国)
ハリケーンラン(仏国)
ドバウィ(愛国)
グッドババ(香港)
ディープインパクト(日本)
シーザリオ(日本)

出ました。ここでディープインパクトの名前が。

アメリカの同世代の馬でいうと、インヴァソールという化け物がいました。ウルグアイでデビューした後にアメリカへ移籍し、なんとGⅠを6連勝。中でも2006年のブリーダーズカップクラシックは最強の3歳馬バーナーディニを差し切って勝った素晴らしいレースでした。

そんな中、MajesticallyはGⅠどころか重賞レースにも全く縁がないまま、6戦2勝という成績で2006年に現役を終えました。そして、翌年2007年からアメリカで繁殖生活に入り、最初に受胎した子供がダストアンドダイヤモンズだったのです。

Majesticallyはその母Darling Dame(ドウデュースの曾祖母)が生まれた牧場と同じ牧場で生産されました。Majesticallyの兄や姉には活躍馬がいません。しかし、父Gone West(ドウデュースの曾祖父)の代表産駒の1頭であるコメンダブルが、Darling Dameに種付けされる前年(2000年)に米国3冠の1つベルモントステークスを勝っていましたので、「牧場ゆかりの血統でクラシック制覇を」という期待を背負って生まれたのかもしれません

その期待は、アメリカではなく、遠く日本で叶うことになります。

2001年生 ハーツクライ(父)

ここで母系(母方)の血統の旅はいったん小休止。次は、父系(父方)の血統を見ていきます

05’有馬記念優勝時のハーツクライ
(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Arima_Kinen_2005.jpg?uselang=ja)

ドウデュースの父は、言わずと知れた日本が誇る名種牡馬、ハーツクライです。

ハーツクライのプロフィール
生年月日 2001年4月15日
 サンデーサイレンス
 アイリッシュダンス(母父 トニービン)
馬主 社台レースホース
生産者 社台ファーム
調教師 橋口弘次郎(栗東)
通算成績 19戦5勝(05’GⅠ有馬記念、06’GⅠドバイSC、06’GⅠKGⅥ&QEDS3着)

ハーツクライの同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

2001年生まれの世界的な名馬
スマーティジョーンズ(米国)
タピット(米国)
エレクトロキューショニスト(伊国)
アザムール(愛国)
ウィジャボード(英国)
キングカメハメハ(日本)
ダイワメジャー(日本)

同世代のスマーティジョーンズは無敗でケンタッキーダービーとプリークネスステークスを勝った2冠馬。なんと種牡馬になったスマーティジョーンズが繫養されていた牧場はダストアンドダイヤモンズが繁殖生活を送っていた牧場と同じです(ダストアンドダイヤモンズが生まれる前ですが)。しかも、スマーティジョーンズの父父(祖父)はドウデュースの曽祖父Gone West。なんという因縁でしょうか。

そして日本での同期には、キングカメハメハとダイワメジャーという、のちの日本競馬を支える種牡馬となった2頭が。1つ下のディープインパクト、そしてハーツクライともども、現在の日本競馬の礎がこの世代の馬たちによって築かれたことは感慨深いものがあります。

ハーツクライの現役時代については、さんざん色々な場所で語られていますので、ここでは省略することにします。ですが、同世代のエレクトロキューショニスト、そして1つ下のハリケーンランと3強対決になった2006年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスは、惜しくも3着に敗れましたが、ハーツクライを名馬に押し上げた伝説のレースとして私の心に刻まれています

YouTube 2006 King George VI&QEDS(Anomaris)

ハーツクライは、名門の社台ファームで2001年4月15日に生まれました。母アイリッシュダンスの5番目の子供で、上の4頭の兄・姉は全てハーツクライと同じサンデーサイレンス産駒。うち全兄のアグネスシラヌイはオープンクラスまでいきましたが、重賞を勝つような馬はいませんでした。

ハーツクライを管理していた橋口弘次郎氏(元調教師)によれば、入厩当初は線が細く、その異様な歩き方に面食らったそうです。その歩き方とは、立っているときは普通なのに、歩こうとするとなぜか前脚を外へ張り出すようにして、いわば「ガニ股歩き」のようになったそうです。デビュー戦にまたがった武豊騎手も「何だ、その歩き方」といって他の騎手に笑われたのだとか。しかし、走り出すとまっすぐに走るので、競走能力には関係なかったのです。

2000年生 Vindication(母方の祖父)

再び母系(母方)の血統に戻って、次は母ダストアンドダイヤモンズの父、ドウデュースにとっては祖父にあたる2000年生まれのVindicationを見ていきます

Vindicationのプロフィール
生年月日 2000年1月28日
 Seattle Slew
 Strawberry Reason(母父 Strawberry Road)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 4戦4勝(02’GⅠBCジュヴェナイル、02’GⅢケンタッキーカップジュヴェナイル)

Vindicationの同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

2000年生まれの世界的な名馬
ゴーストザッパー(米国)
エンパイアメーカー(米国)
ファニーサイド(米国)
ダラカニ(仏国)
アルカセット(英国)
スティルインラブ(日本)
ネオユニヴァース(日本)
ゼンノロブロイ(日本)

Vindication自身も名馬になれた素質はあったでしょう。なんせ、アメリカの2歳牡馬の頂点を決めるブリーダーズカップジュヴェナイルを無敗で勝ったのですから

YouTube 2002 Breeders’ Cup Juvenile(Breeders’ Cup World Championships)

翌2003年のケンタッキーダービーの最有力馬として期待されたVindicationでしたが、3歳の2月に左前脚を故障し、そのまま引退してしまいました。そのケンタッキーダービーはセン馬の伏兵ファニーサイドが勝利。ファニーサイドはそのあとのプリークネスステークスも制し、3冠をかけてベルモントステークスに臨みましたが、ケンタッキーダービーで2着に敗れたエンパイアメーカーが逆転で勝利し、3冠を阻みました。

しかし、エンパイアメーカーはその後の怪我により3歳で引退。ファニーサイドもその後はなかなか勝てないレースが続きます。そこで代わってアメリカに登場したスターホースがゴーストザッパーです。クラシックには縁がありませんでしたが、3歳秋に短距離GⅠを勝ったあとは、引退まで重賞6連勝。この中にはダート世界一を決めるブリーダーズカップクラシックも含まれます。

そんな強豪馬を同期にもつVindicationでしたが、日本の同世代には牝馬3冠馬スティルインラブや、2冠馬ネオユニヴァース、グランドスラム(天皇賞・秋→ジャパンカップ→有馬記念を全勝)を達成したゼンノロブロイもいます。

引退後種牡馬になったVidicationは、良血馬ということもあり、のちのダストアンドダイヤモンズも含めて生産者からは人気を集めていたようですが、なんと、2008年7月に胃破裂を起こして安楽死処分となってしまいました。まだ8歳という若さでの急死。そして、残された世代はわずかに5世代

お気づきでしょうか?Vindicationは、娘のダストアンドダイヤモンズが生まれた年に亡くなったのです。しかも、ダストアンドダイヤモンズは母Majesticallyの初仔。そう、Majesticallyの初めての種付けにVindicationが選ばれていなければ、その後永久にダストアンドダイヤモンズが生まれるチャンスはなかったということです。もちろん、ドウデュースが生まれるチャンスも、です。この奇跡には、ブラッドスポーツ(血統)の神秘を感じずにはいられません。

では、数ある種牡馬の中で、なぜVindicationがMajesticallyのお相手に選ばれたのか?それは、MajesticallyのオーナーとVindicationのオーナーが同じだったからです。

そして、この血統の旅は、ここから10年近く間が空くことになります

ドウデュース~Vindicationまでの家系図

1992年生 Strawberry Reason(母方の曾祖母)

1990年代に変わり、初めて血統表に出てくる馬は母方の曾祖母(Vindicationの母)である1992年生まれのStrawberry Reasonです。

Strawberry Reasonのプロフィール
生年月日 1992年3月17日
 Strawberry Road
 Pretty Reason(母父 Hail to Reason)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 17戦4勝(95’GⅢマーサワシントンステークス)

Strawberry Reasonの同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

1992年生まれの世界的な名馬
セレナズソング(米国)
サンダーガルチ(米国)
リッジウッドパール(愛国)
ラムタラ(英国)
シングスピール(英国)
オクタゴナル(豪州)
フジキセキ(日本)
マヤノトップガン(日本)

Strawberry Reasonのアメリカでの同期には、セレナズソングという化け物の牝馬がいました。なんと、セレナズソングの通算成績は38戦18勝、GⅠを11勝というとんでもない強さ。Strawberry Reason自身も重賞を勝つ活躍を見せましたが、比較すら許されないほど飛び抜けたライバルがいたのです。

そして、同世代には世界中に化け物がいました。無敗で欧州3冠(英ダービー、KG6&QEDS、凱旋門賞)を制した「神の馬」ラムタラ、オーストラリアでGⅠを10勝したオクタゴナル、そして日本の「幻の3冠馬」フジキセキ。ドウデュースの祖父サンデーサイレンスの初年度産駒がこの世代になります

そんな中、決して良血馬ではありませんでしたが、自らの生産者でもあるオーナー(オーナーブリーダー)のもとでデビューしたStrawberry Reasonは、3歳時にメイドン(未勝利戦)を勝つと、その後1戦を挟んでアローワンス(一般戦)を2連勝。さらに、重賞を2戦走って3着、5着と善戦すると、続くGⅢマーサワシントンステークス(ダート1,700m)で見事に重賞初制覇を果たしました。その後は1勝もできずに4歳で引退しますが、十分に馬主孝行ができた現役時代でした。

しかし、最もStrawberry Reasonが馬主孝行だったのは、オーナーのもとで繁殖牝馬になってVindicationを産んでくれたことでしょう。5歳(1997年)で繁殖生活に入ったStrawberry Reasonは、2年連続でSt. Joviteの子を産んだあと、1999年にアメリカの大種牡馬Seattle Slewとの子を受胎します。それが、Vindicationです

Vindicationが生まれたのは2000年1月28日。母Strawberry Reasonと同じ牧場で育ち、2001年のファシグ・ティプトンのセリ市に上場されたVindicationは、なんと215万ドル(当時のレートで約2億6,500万円)という超高額で売却されました

その後、Strawberry ReasonはVindication以外にも多くの活躍馬を生み、Vindicationの活躍もあって、きっとオーナーに莫大な財産を残してくれたことでしょう。ちなみに、Vindicationの次に生まれたSilver Deputyとの子は日本に輸入され、トゥルーリーズンという名前でセントライト記念3着に入る活躍を見せました。

1990年生 アイリッシュダンス(父方の祖母)

再び父系の血統に戻って、次はドウデュースの父方の祖母、1990年生まれのアイリッシュダンスを見てみましょう。

アイリッシュダンスのプロフィール
生年月日 1990年3月26日
 トニービン
 ビューパーダンス(母父 Lyphard)
馬主 吉田照哉
生産者 社台ファーム
調教師 栗田博憲(美浦)
通算成績 20戦9勝(95’GⅢ新潟大賞典、95’GⅢ新潟記念、95’GⅡオールカマー2着)

アイリッシュダンスの同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

1990年生まれの世界的な名馬
シガー(米国)
スカイビューティ(米国)
キングマンボ(仏国)
ザフォニック(仏国)
モンズーン(西独)
コマンダーインチーフ(英国)
ビワハヤヒデ(日本)
ベガ(日本)

アイリッシュダンスの世代には、アメリカに2頭の化け物がいました牡馬のシガーは、現役時代にGⅠ11勝を含む驚異の16連勝を果たしながら、無精子症のために種牡馬になれなかった悲劇の馬。牝馬のスカイビューティは、3歳時のトリプルティアラを含むGⅠ9勝のアメリカ殿堂馬です。欧州の同世代には、キングカメハメハやエルコンドルパサーを輩出したキングマンボ、ドウデュースの母方の曾祖父Gone Westの代表産駒Zafonicなどがいます。

そして、アイリッシュダンスの父トニービン(ドウデュースの曾祖父)の初年度産駒がこの世代になります。トニービンの初年度産駒には、アイリッシュダンスの他にも牝馬2冠のベガ、マイルGⅠ2勝のノースフライト、ダービー馬ウイニングチケット、天皇賞馬サクラチトセオーといった錚々たる名馬の名前が。

しかし、同世代の馬たちが早々に活躍する中、アイリッシュダンスのデビューは3歳の8月とかなり遅く、初勝利を挙げたのも4歳になった翌1994年の7月。そこからは連戦連勝を果たし、一気にオープンクラス入りします。そして、翌年の5歳時にアイリッシュダンスの才能が開花。GⅢ新潟大賞典(芝2,000m)とGⅢ新潟記念(芝2,000m)を驚くような強さで圧勝したのです。その後は勝てず、この年(1995年)で引退してしまいますが、私がアイリッシュダンスに対して強い印象を受けたのは、5歳時のGⅡオールカマー。2着に敗れたレースですが、ヒシアマゾンとの牝馬同士のマッチレースは痺れるものがありました

YouTube 1995年 オールカマー(GⅡ) | ヒシアマゾン | JRA公式

1996年から生まれ故郷の社台ファームで繁殖牝馬となったアイリッシュダンスには、社台ファームも「きっといい子を産んでくれる」と大きな期待を寄せていたことでしょう。奇しくも、この年はサンデーサイレンス産駒がクラシック戦線で大活躍していた頃。社台グループの期待の星となりつつあったサンデーサイレンスに、極上の繁殖牝馬としてアイリッシュダンスがパートナーに選ばれたのは当然の流れでした。

繁殖1年目からサンデーサイレンスを種付けされ続けたアイリッシュダンスが、ようやく5頭目で産んだ期待の素質馬がドウデュースの父ハーツクライなのです。

1989年生 Darling Dame(母方の曾祖母)

行ったり来たりになりますが、続いて母系に戻って、ドウデュースの曾祖母(母ダストアンドダイヤモンズの祖母)にあたる1989年生まれのDarling Dameです

Darling Dameのプロフィール
生年月日 1989年1月9日
 Lyphard
 Darling Lady(母父 Alleged)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 19戦5勝

Darling Dameの同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

1989年生まれの世界的な名馬
エーピーインディ(米国)
パラダイスクリーク(米国)
アーバンシー(仏国)
エルプラド(愛国)
ユーザーフレンドリー(英国)
ロドリゴデトリアーノ(英国)
ミホノブルボン(日本)
サクラバクシンオー(日本)

Darling Dameの同世代には、アーバンシーとユーザーフレンドリーという名牝2頭が欧州で活躍していました。アーバンシーは4歳時に凱旋門賞を勝ち、ユーザーフレンドリーは英オークスを含むGⅠ5勝を挙げています。特にアーバンシーについては、ガリレオシーザスターズというスーパーホースを2頭も産んだということで、まさに歴史的名牝となりました。

Darling Dame自身はクラシックとは縁がありませんでしたが、1992年の3歳秋にブラックタイプ(日本でいうオープン特別)のハンデ戦を勝ち、翌1993年の4歳夏にもブラックタイプのハンデ戦を1勝するなかなかの活躍ぶり。その後はレースに勝てず、1994年1月のレースを最後に引退します。

Darling Dameは生まれ故郷の牧場に戻って1995年春から繁殖生活に入りました。4頭の子を産んだあと、2001年にGone Westの子を受胎した状態でセリに出されます。しかし、買い手がつかず、主取り(売主本人が引き取ること)となりました。そして、元の牧場に残って生まれた5番目の子供こそ、ドウデュースの祖母Majesticallyだったのです。もし、セリで誰かにDarling Dameが買われていたとしたら・・・この世にドウデュースは生まれていなったかもしれませんね。なんという奇跡の連続でしょうか。

Darling Dameは、Majesticallyを産んだその場所で1989年1月9日に生まれました。母Darling Lady(ドウデュースの高祖母)は現役時代に2戦して勝ち鞍なし。早々に引退して繁殖入りしたあと、初仔で生まれたのがDarling Dameです。このDaring Dameの誕生については、実は「欧州史上最強馬」とも言われる1頭の名馬との関係があったのでした(後述)。

1986年生 サンデーサイレンス(父方の祖父)

サンデーサイレンス
(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sundaysilence.jpg?uselang=ja)

再度父系の血統に戻ります。続いては、ドウデュースの偉大なる祖父であり、日本近代競馬を一変させた馬、1986年生まれのサンデーサイレンスです

サンデーサイレンスのプロフィール
生年月日 1986年3月25日
 Halo
 Understanding(母父 Promised Land)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 14戦9勝(89’GⅠケンタッキーダービー、89’GⅠプリークネスS、89’GⅠBCクラシックほか)

サンデーサイレンスの同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

1986年生まれの世界的な名馬
イージーゴア(米国)
キンググローリアス(米国)
インザウイングス(仏国)
デインヒル(英国)
ナシュワン(英国)
ザビール(豪州)
オサイチジョージ(日本)
ロジータ(日本)

サンデーサイレンスと言えば、同期のイージーゴアとのライバル関係が有名です。サンデーサイレンスの生い立ちや現役時代についてはいろいろな場所で語られていますので、ここで詳細な解説はしませんが、1989年のプリークネスステークスでのイージーゴアとのマッチレースは、ぜひ1度は見ていただきい名レースです。

YouTube 1989 Preakness Stakes – Easy Goer -vs- Sunday Silence(Horse Racing)

これだけの名馬が、幼駒(デビュー前の仔馬)の頃はまったく期待されていない、どころか、見る人見る人に嫌悪感を与えるくらい醜い馬だったというのです。セリでも思ったような値がつかずに、最終的には生産者が自らオーナーになってデビューさせることになります。本当に、競馬というのは奇妙で面白いスポーツですね。

Whishing Wellの初仔として1986年3月25日にサンデーサイレンスは生まれました。Wishing Wellは現役時代に重賞2勝しているなかなかの繁殖牝馬でしたが、血統的にはマイナーな血が多く含まれています。そして、父Haloは当時サニーズヘイローデヴィルズバッグといった活躍馬を輩出している優秀な種牡馬でしたが、その後継種牡馬がまだ活躍していませんでした(その後にデヴィルズバッグからタイキシャトルが生まれるのですが)。

引退したサンデーサイレンスには、アメリカで巨額のシンジケート(種付権の共同所有)が組まれることになりましたが、上述の背景もあってか、まったく買い手がつきません。そこへ救いの手を伸ばしたのが社台グループの創業者である吉田善哉氏でした。吉田氏はすでに所有権の一部を持っていましたが、種牡馬としての可能性に期待してサンデーサイレンスの買取りを決めたのです。そこからのストーリーは、「言わずもがな」です。

このあと、この血統の旅はいよいよクライマックスに向かっていきます

ドウデュース~サンデーサイレンスまでの家系図

1983年生まれの3頭の馬たち

ドウデュースの血統を遡って見ていくと、1983年生まれの馬が3頭いることが分かりました

その3頭とは、父方(父系)の曾祖父トニービン、同じく曾祖母ビューパーダンス、そして母方の高祖母(曾祖母の母)Darling Ladyです。

トニービン(父方の曾祖父)のプロフィール
生年月日 1983年4月7日
 カンパラ
 Severn Bridge(母父 Hornbeam)
産地 アイルランド
通算成績 27戦15勝(88’GⅠ凱旋門賞、88’87’GⅠミラノ大賞典、88’87’GⅠイタリア共和国大統領賞ほか)
ビューパーダンス(父方の曾祖母)のプロフィール
生年月日 1983年2月26日
 Lyphard
 My Bupers(母父 Bupers)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 不出走
Darling Lady(母方の高祖母)のプロフィール
生年月日 1983年2月3日
 Alleged
 Olmec(母父 Pago Pago)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 2戦0勝

これらの3頭と同世代の馬には、以下の馬たちがいます。

1983年生まれの世界的な名馬
ストームキャット(米国)
マニラ(米国)
ベーリング(仏国)
ウッドマン(愛国)
ダンシングブレーヴ(英国)
ムトト(英国)
メジロラモーヌ(日本)
ニッポーテイオー(日本)

1983年生まれの馬たちの中には、大種牡馬ストームキャットやウッドマンといった日本でもお馴染みの馬がいましたが、なんといっても、この世代のスターホースはアメリカ生まれのイギリス調教馬ダンシングブレーヴでしょう。そして、この血統の旅により、なんとドウデュースとダンシングブレーヴとの間に浅からぬ縁があったということが分かったのです(後述)。

さて、ビューパーダンスとDarling Ladyの牝馬2頭は、ともにアメリカで生まれながら現役時代は全く活躍できませんでした。

一方、トニービンは、アイルランドで生まれたあと、イタリアの実業家に買われてイタリアで競走生活を送ることになります。すると、晩成型のトニービンは5歳で覚醒。6歳までの間にイタリアのGⅠレースを5勝する大活躍を見せたあと、迎えた1988年の凱旋門賞で同世代の1番人気ムトトを抑えて見事な差し切り勝ちを収めたのです

YouTube 1988 Ciga Prix de l’Arc de Triomphe(espmadrid)

トニービンは、凱旋門賞優勝後の次走に日本のGⅠジャパンカップを選択。芦毛のスターホース2頭、タマモクロスオグリキャップが出走したこのレースで5着に敗れ(米ペイザバトラーが優勝)、これを最後に引退しました。そして、このあとトニービンを社台グループが購入し、日本で種牡馬生活を送ることになります。

もう1頭の1983年生まれダンシングブレーヴとドウデュースの絆

この血統の旅のクライマックス。それが、欧州最強馬ダンシングブレーヴとドウデュースの見えざる絆です。

ダンシングブレーヴのプロフィール
生年月日 1983年5月11日
 Lyphard
 Navajo Princess(母父 Drone)
産地 アメリカ合衆国
通算成績 10戦8勝(86’GⅠ凱旋門賞、86’GⅠKG6&QEDS、86’GⅠエクリプスS、86’GⅠ英2000ギニー)

ダンシングブレーヴと言えば、日本に輸入されてキョウエイマーチキングヘイローテイエムオーシャンといったGⅠ馬を輩出した種牡馬として有名ですが、その凄さは産駒の活躍よりも、現役時代の圧倒的な強さにあります。なんと、インターナショナルクラシフィケーション(現ロンジンワールドベストレースホースランキング)のレーティングで史上最高の141という評価を受けているのです(※フランケル140、シーザスターズ136、イクイノックス135)。

その強さは、ずばり1986年の凱旋門賞に集約されていると言ってもいいでしょう。

YouTube 1986 Trusthouse Forte Prix de l’Arc de Triomphe(espmadrid)

そんな名馬が、どこにドウデュースとの関係性があるのか?

それは、ドウデュースの母方をたどっていた時に気づきました。母の母の母の母の・・・という母方の直系、いわゆるボトムライン(またはファミリーライン)を見ていったときに、ドウデュースから数えて5代前の母にOlmecというアメリカ産の牝馬がいます。Olmecが1983年に産んだ子供がドウデュースの高祖母Darling Lady。しかし、その約10年前の1974年にNavajo Princessという子供も産んでいます。そのNavajo Princessこそ、あの名馬ダンシングブレーヴの母だったのです

つまり、ドウデュースの高祖母Darling Ladyとダンシングブレーヴの母Navajo Princessは姉妹(父は違いますが)。しかも、LyphardとDaring Ladyの子供がドウデュースの曾祖母Darling Dameで、LyphardとNavajo Princessの子供がダンシングブレーヴですので、ダンシングブレーヴと曾祖母Darling Dameは4分の3同血(血統構成が75%一致)ということになります。

ドウデュース~Olmecまでの家系図

さらに言うと、ダンシングブレーヴの父Lyphardは、母方の高祖父(曾祖母Darling Dameの父)でありながら、父方の高祖父(曾祖母ビューパーダンスの父)でもあります。Lypahrdという先祖を起点にして、父ハーツクライ、母ダストアンドダイヤモンズ、そして、ダンシングブレーヴの3頭が血でつながっています

ドウデュースには、名馬ダンシングブレーヴと同じ血が流れています。これは、血統表をパッと見ただけではわからなかった事実であり、今回の血統の旅をとおして最も興味深い発見となりました

まとめ

いかがでしたでしょうか?

冒頭で私がドウデュースの血統を見た印象をお伝えしましたが、やはり印象どおり米国色の強い旅となりました。ドウデュースの筋肉ムキムキでマイラーのような体形はやはり米国血統から来ていたのだ、とあらためて納得できたのですが、なぜそんなドウデュースがダービーや有馬記念を勝てる馬になったのかは、ずっと疑問でした

今回の血統の旅で、ドウデュースの切れ味とスタミナは、凱旋門賞馬の曾祖父トニービンと、同じく凱旋門賞馬のダンシングブレーヴから受け継いだのだろうと、私の中では腑に落ちたのですが、皆さんはどうでしょうか。

さらに、祖父サンデーサイレンスから受け継いだ心肺機能と勝負根性で、ドウデュースは新たに凱旋門賞馬の称号を得られるかもしれないと私の中で期待が大きくなった、そんなロマンあるいい旅でした

参考文献・サイト

「名馬の理(ことわり) 調教師・橋口弘次郎、1000勝の軌跡」(石田敏徳著、徳間書店)

BLOOD HORSE”Dust and Diamonds Cashes in at Gulfstream”https://www.bloodhorse.com/horse-racing/articles/124345/dust-and-diamonds-cashes-in-at-gulfstream

競馬ブックweb「無敗の2歳王者ヴィンディケーションが急死」https://p.keibabook.co.jp/news/detail/45368

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