ハイセイコーがなぜ中央初戦から異常な人気だったのかわからない

ハイセイコーがなぜ中央初戦から異常な人気だったのかわからない

オグリキャップは、確かに笠松で圧倒的な強さを見せていたが、中央に移籍して初戦(ペガサスステークス)は2番人気だった。 つまり、中央競馬のファンは最初、オグリキャップに半信半疑だったのだ。

しかし、ハイセイコーは違った。 初戦の弥生賞から単勝1.1倍の圧倒的な一番人気。しかも、レースが行われる中山競馬場には、ハイセイコー見たさに12万人もの観客が押し寄せたのである。

クラシックレースでもない、単なる重賞レースにこれだけの観客が入るのは、日本競馬史上でもこの時だけではないか? ゴール前の立ち見スタンドでは、あまりの観客の多さで前の観客が鉄柵を押し倒してしまいそうになり、何名かの観客は柵を超えて芝コースの上にポロポロと落っこちていたという。 この様子を、ハイセイコーの相棒である増沢末夫(ますざわすえお)騎手が「ハイセイコーの思い出では、一番強烈」と語っているとおり、競馬関係者も思わず引いてしまうような異常な雰囲気だったようである。

その後の活躍ぶりを見れば、現代の我々からしても、ハイセイコーが人気になる理由はある程度わかるのだが、地方から転厩した馬の初戦でこれだけの注目を集めた理由は、はっきり言って、まったくわからないのだ。

ハイセイコーがオグリキャップと何が違うのかといえば、時代が1970年代であること、地方では全戦全勝だったこと(オグリキャップは笠松で2敗している)、そして東京都の大井競馬場出身であること。

もしかすると、1970年代当時は、地方競馬のレベルが圧倒的に低く見られていたのかもしれない。 オグリキャップの時代には、イナリワンやドクタースパートといった地方競馬出身で中央のGⅠを勝つ馬は珍しくなくなっていた。 地方出身の馬が中央競馬でGⅠクラスのレースを勝つというシンデレラストーリーを、ハイセイコーの時代の人々は心待ちにしていたのかもしれない。

いや、確か戦後すぐの頃は、中央と地方の差はそこまで大きくなく、地方から中央に移籍した馬の中でGⅠ級の大レースを勝った馬がいたはずだ(すぐに馬の名前が出てこないが)。 つまり、地方出身でGⅠ級のレースを勝てるような馬というのは、ハイセイコーが初めてではないのだ。

例えば、大井競馬場出身だから、都内の競馬ファンは直接ハイセイコーの強さを見ていたわけで、それが口コミで広がって、噂が噂を読んであの弥生賞になったのか? YouTubeもSNSもない時代に、「ハイセイコーという凄い馬がいる」という情報がどう伝わり、ファンはその情報をどう受け取ったのか?

その時代の雰囲気と併せて、もっと当時のことを調べてみないと、ハイセイコーの異常な人気の理由を理解できなさそうだ。

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