オグリキャップとタマモクロスは、どちらがより”名馬”なのか?

オグリキャップとタマモクロスは、どちらがより”名馬”なのか?

1988年、4歳(今の3歳)のオグリキャップは中央競馬に移籍して以降、連戦連勝で重賞6連勝という歴史的偉業まで達成して、10月に初のGⅠレースである天皇賞(秋)に挑んだ。
ここで立ちはだかったのが、自身と同じ芦毛のタマモクロス。オグリキャップより1歳年上の5歳(今の4歳)牡馬である。

タマモクロスも、4歳秋に覚醒して以降、ここまで7連勝中。しかも、前々走の天皇賞(春)と前走の宝塚記念を勝って、GⅠ2連勝。GⅠ3連勝と史上初の天皇賞春秋連覇をかけてここに臨んだ。

結果は、先輩のタマモクロスが1番人気のオグリキャップに1馬身4分の1の差をつけて優勝。オグリキャップは、中央移籍後の初黒星を喫した。

このレース、タマモクロスに騎乗していた騎手は南井克巳(みないかつみ)。 天皇賞(春)で南井に念願のGⅠ初制覇をプレゼントしたタマモクロスは、これで3つ目のGⅠタイトルを南井とともに勝ち取ったことになる。
なお、オグリキャップに騎乗していたのは、南井と関西ナンバーワンジョッキーを争う河内洋(かわちひろし)だ。

続くGⅠジャパンカップ。天皇賞から人気が入れ替わって、1番人気はタマモクロス。オグリキャップは3番人気だった。勝ったのはアメリカのペイザバトラーだったが、惜しくも2着に入ったタマモクロスに対して、オグリキャップはまたしてもタマモクロスの後塵を拝して3着に敗れた。

2頭による3回目の対戦は、その年のGⅠ有馬記念。タマモクロスの引退レースである。

タマモクロスには生涯の相棒である南井が乗るのに対して、オグリキャップには関東ナンバーワンジョッキーの岡部幸雄(おかべゆきお)が騎乗した。これまでの相棒である河内は、同じ有馬記念に出走するサッカーボーイの主戦騎手であり、河内はオグリではなくサッカーボーイを選択したのである。もっとも、オグリキャップのオーナーが岡部を希望したという経緯があることから、河内が”降ろされた”と見る向きもあるのだが。

ここで、オグリキャップは最初で最後の”タマモクロス討ち”に成功
岡部は「タマモクロスのほうが一枚上だと思っていた」と語るが、逆にタマモクロス陣営はオグリキャップのどっしりとした落ち着きぶりに、どちらが年上かわからないというような印象を受けたという。

GⅠ初制覇を果たして、意気揚々と5歳を迎えたオグリキャップだったが、有馬記念を最後に岡部が手綱を握ることはなかった。岡部にも思うことがあったようで、「有馬記念の1回だけ」という約束をかたくなに守って、いくら依頼があろうが二度とオグリキャップに乗ろうとしなかったのだ。

そこで、白羽の矢が当たったのが、なんと南井克巳。かつてのライバル騎手がオグリキャップの新しい相棒に決まったのである。

1989年、オールカマー、毎日王冠と順調に連勝して迎えた2度目の天皇賞(秋)。オグリキャップは単勝1.9倍の圧倒的1番人気となったが、ここではライバルのスーパークリークと武豊に惜しくも届かず2着に敗れてしまった。南井が「あれだけは悔いが残る」と語っているように、オグリキャップは前が壁になったことで脚を余す形で負けてしまったのである。

そして迎えた”伝説”のマイルチャンピオンシップとジャパンカップ。オグリキャップは連闘でのGⅠ2連戦という厳しいローテーションにも関わらず、1着と僅差の2着というほぼ完ぺきなパフォーマンスを見せた。

南井は、マイルチャンピオンシップ優勝後のインタビューで人目もはばからず涙を流した

「この前(天皇賞)も負けたし、今日も負けたような感じがした。こんな凄い馬に初めて出合った。天皇賞で僕はオグリキャップに大きな借りを作った。今日の勝利でまだ半分しか返していない。だからジャパンカップで必ず倍にして返す」

その言葉どおり、南井はジャパンカップで敗れはしたものの、ほぼ文句のない騎乗で2分22秒2という世界レコードで駆け抜けるオグリキャップの姿をファンに見せつけたのである。

南井は、のちにこう語っていた。

「(マイルチャンピオンシップの涙は)自分が勝てたのが嬉しかった、っていうわけではない。なんて偉い馬なんだろうと思うと、どうしようもなく泣けてきた。タマモクロスと別れるときも泣かされたけど、オグリキャップにも本当に泣かされた」

南井にとっては、タマモクロスもオグリキャップも名馬なのだ。

その一方で、南井の言葉からは2頭の違いをはっきりと感じる。
すなわち、タマモクロスは南井にとっての恩人であり、オグリキャップは南井にとっての、いや、一人のホースマンとしての”感動そのもの”だった、と。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA