藤田菜七子の夢は涙とともにはじけて消えた

藤田菜七子の夢は涙とともにはじけて消えた

1997年に茨城県で生まれた藤田菜七子は、小学5年生の時にテレビの競馬中継を見て「ジョッキーってカッコいいな」と思った。

ジョッキーになりたい。

そんな思いから、週末に乗馬スクールに通うようになると、馬に乗ることが楽しくて仕方なくなった。平日も馬のことばかり考えていたという。

「(自分が女性であることは)何も考えていなかった」

騎手を目指す菜七子は、中学2年の時に「競馬学校ジュニアチーム」に入って、週5回の乗馬トレーニングと家での自主トレーニングを重ねた。

競馬学校に入ると、菜七子は泣いてばかりいた。周囲の人間から「どこからそんなに涙が出てくるんだ?」と言われるほど。

そして、2016年3月3日。 16年ぶりに誕生したJRA”女性騎手”として、ついにデビューを果たす。同期には坂井瑠星騎手など。周囲には男性騎手しかいない。

菜七子は2016年に6勝、2017年に14勝を挙げると、2018年8月に通算35勝となり、JRAの女性騎手として史上最多勝記録を更新した。

師匠の根本康広調教師は「菜七子は後ろを向かない。常に前向き。終わったことに引きずられない」と精神面の強さを指摘する。
そこに“泣き虫の藤田菜七子”はいなかった。「泣いている場合じゃないと思ったから」と。

同期の坂井瑠星が海外で活躍する姿に刺激を受け、「いつかは自分も」と海外の女性ジョッキーたちからアドバイスを受けて体力・筋力アップに取り組んだ。

菜七子が海外で活躍する姿を、ファンたちも期待したであろう。

なのに、なぜ?
なぜ、藤田菜七子は競馬界を去ることになったのか?
泣かないはずの騎手生活の最後に、なぜ涙を流して騎手免許の取消申請書を書かなければならなかったのか

小学5年生の少女が抱いた夢は、大きく膨らんだあと、彼女の涙とともにはじけて消えた。

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