【1996年】相関図と名実況で振り返る競馬史【サンデーサイレンス旋風】

【1996年】相関図と名実況で振り返る競馬史【サンデーサイレンス旋風】

筆者が本格的に競馬を見始めた年が1996年です。

この年は、衝撃的なレースや出来事がたくさんありましたので、すぐに競馬の虜になりました。

今回からシリーズもので、当時活躍した競走馬たちの相関図とレースの名実況を見ながら、過去の競馬を1年おきに振り返っていこうと思います。

1996年競馬界の相関図

早速ですが、こちらが1996年に活躍した競走馬たちの相関図になります。

1996年競馬界 相関図
相関図の補足

・縦軸が馬の距離適性(上側が長距離向き、下側が短距離向き)、横軸が馬齢(右側が高齢、左側が若齢)を示しています。

・主に芝レースでの相関図を示しています。ダートについては、左上に別枠で記載しています。

・馬名が書いてある○の大きさは当時の年間レーティング(筆者が独自に5点満点で評価)を示していて、上の図で言うとサクラローレルがトップの5点、マヤノトップガンが4点、ナリタブライアンが3点、ヒシアマゾンが2点となります。構成の都合上、1点の馬と2点の馬(代表的な馬を除く)は表記を省略しています。

・馬の○と○を結んでいる矢印←は、その年のレースで1着になった馬(矢印の根元)と同じレースでその馬に負けた馬(矢印の先)との関係を示しています。上の図で言うと、サクラローレルは自らが勝った天皇賞(春)でマヤノトップガンとナリタブライアンを負かしていますので、2頭に対して矢印が伸びています。

・青い星印★はサンデーサイレンス産駒であることを示しています。

相関図を見てもらえば、この年の馬同士の力関係や世代間の力関係が一目で分かると思います。

自分で作ったのですが、思わず自分でその分かりやすさに感心してしまいました。

当然ですが、この年の年度代表馬であるサクラローレルが力関係では上になりますが、この馬に唯一勝ったのが3歳馬のバブルガムフェローでした。

そして、バブルガムフェローを含めてサンデーサイレンス産駒が3歳世代を席巻しており、サンデーサイレンスのファーストクロップである4歳世代の産駒たちもGⅠや重賞で多数活躍しました。

と言うことで、次からは1996年の各路線を名実況とともに振り返りたいと思います。

古馬 中長距離戦線

1996年 古馬中長距離戦線

この年の中長距離戦線の主役はサクラローレル(天皇賞(春)、有馬記念制覇)です。

そして、前年の年度代表馬マヤノトップガン(宝塚記念制覇)、成長著しいサンデーサイレンス産駒のマーベラスサンデー(有馬記念2着など)、牝馬のダンスパートナー(エリザベス女王杯制覇←1996年から古馬に解放)などの4歳世代が中心になってレースを盛り上げます。

また、この年は3歳馬の活躍が目立った年でした。サクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーの3強を下して天皇賞(秋)を勝ったバブルガムフェロー、秋華賞を勝ち、その後のジャパンカップで2着になったファビラスラフィンなど、今では珍しくない光景が当時は驚きをもって報じられました。

一方、無敵の強さを見せていた5歳世代のナリタブライアン(阪神大賞典制覇)やヒシアマゾン(エリザベス女王杯2着入線も斜行で降着)はこの年で引退に追い込まれてしまいます。

それでは、この年の名レースを名実況とともに見ていきましょう。

伝説のマッチレース 1996年阪神大賞典

一昨年の年度代表馬ナリタブライアンと昨年の年度代表馬マヤノトップガンのマッチレースとなったこの年の阪神大賞典。

なんとこの日の阪神競馬場は、2頭の勇姿を見ようと6万人の大観衆がレースを見守っていました。そして、あのマッチレースになった時の大歓声。今でも鳥肌が立ちます。

前年に惨敗を重ねる姿を見て落ち込んだファンも多かったでしょう。そう、みんながあの強かった頃のナリタブライアンを、怪物と言われた豪脚をもう一度見たかったのです

では、杉本清アナウンサーの名実況とともに実際のレースをご覧くだささい。以下のYouTube動画の1:05:33頃からレースが始まります。

YouTube 三冠実況アナウンサー対談(カンテレ競馬【公式】)

さあ、ブライアン!ブライアン!甦れ!甦れ、ブライアン!

関西テレビ 杉本清アナウンサー

この実況は、当時のファンたちの心の叫びを見事に言い表した、杉本さんならではの素晴らしい実況だと思います。

この実況とともにレースを見ることで、より感動を覚えるレースです。

最強を証明 1996年有馬記念

阪神大賞典でマッチレースを演じたナリタブライアンとマヤノトップガンを並ぶ間も無く交わして天皇賞(春)を制したサクラローレル。

秋のオールカマーでもマヤノトップガン相手に圧勝し、断然の1番人気となった天皇賞(秋)では、直線でうまく馬群をさばけずに3着に敗れてしまいました

長年サクラの馬を管理してきた境勝太郎調教師は翌年の引退が決まっていました。

境調教師にこっ酷く叱られた横山典弘騎手は、この有馬記念で最高の騎乗をして、境調教師に初めての有馬記念制覇をプレゼントしたのでした。

では、堺正幸アナウンサーの名実況とともに実際のレースをご覧ください。

YouTube 有馬記念1996(カンテレ競馬【公式】)

グランプリ史上、初めてサクラの名前が刻まれます!見事な鞍上、横山典弘!

フジテレビ 堺正幸アナウンサー

境調教師とサクラ軍団の栄光を讃えるとともに、勝利に導いた横山典弘騎手にも惜しみない賛辞を送る素晴らしい実況だと思います。

年末の荒れた馬場の中、サクラローレルは早めに先団に取り付き、直線では馬場のいい外めを不利なく抜け出すという全く隙のないレースぶりを見せました。

文字どおり最強の証明をしてみせたサクラローレルは、文句なしの年度代表馬となりました。

古馬 短距離戦線

1996年 古馬短距離戦線

この年の短距離戦線の顔は、なんと言ってもスプリントGⅠ連覇のフラワーパークでしょう。

高松宮記念が1,200mのGⅠレースに昇格したのはこの年からでした(前身は2,000mのGⅡ高松宮杯)。ナリタブライアンが参戦して話題になったこのレースでは、フラワーパークのスピードに前年のスプリンターズステークス覇者ヒシアケボノやナリタブライアンも全くついて行けませんでした。

スプリンターズステークスでも、こちらも伝説となったマッチレースをエイシンワシントンと演じてわずか1cmの差で勝利しました。

マイル路線では前年のマイルチャンピオンシップを制したトロットサンダーが安田記念を見事な追い込みで制し、マイルチャンピオンシップではサンデーサイレンス産駒の皐月賞馬ジェニュインが危なげなく勝ちました。

それでは、この年のもう一つの伝説のマッチレース、スプリンターズステークスを名実況とともに見ていきましょう。

その差わずか1cmのマッチレース 1996年スプリンターズステークス

前哨戦のCBC賞で見事に逃げ切った快速馬エイシンワシントン。フラワーパークはそのレースで2着に敗れましたが、春以来の久々のレースでもあり、本番では巻き返しが期待されました。

そして、スプリンターズステークスでも同じように逃げ込みを図るエイシンワシントンに、ぴったりと後ろにつけていたフラワーパークが直線で襲いかかります

では、JRA公式チャンネルの動画で実際のレースをご覧ください。

YouTube 1996年スプリンターズステークス(JRA公式チャンネル)

公式の動画はアップされていないのですが、このレースの本当の名実況はフジテレビの三宅正治アナウンサーです(非公式の動画はいくつかアップされていますので、よかったら見てみてください)。

エイシンワシントン先頭!そして、その外からフラワーパークが差を詰める!その後ろからは来ない!その後ろからは何も来ない!この2頭の争いだ!エイシンワシントンか?フラワーパークか?エイシンか?フラワーか?2頭並んだ!!

フジテレビ 三宅正治アナウンサー

他の馬は関係ない!2頭の意地と意地のぶつかり合いだ!そんな2頭の壮絶なデッドヒートを素晴らしい実況で盛り上げてくれました。

このレースも、何度見ても鳥肌が立ちます。1,200m走って1cmの差・・・レースでは負けましたが、勝負では負けなかったエイシンワシントンにも賛辞を贈りたいですね。

クラシック戦線

1996年 クラシック戦線

サンデーサイレンスの2年目の産駒たちがクラシック戦線を賑わせた1996年でしたが、前年の2歳チャンピオンであるバブルガムフェローとトライアルの弥生賞を勝ったダンスインザダークは、故障と熱発でともに皐月賞を回避することになります。しかし、その皐月賞は結局サンデーサイレンス産駒のイシノサンデーロイヤルタッチが1、2着となりました。

一方、牝馬クラシックでは、こちらも桜花賞を熱発で回避したエアグルーヴが桜花賞馬のファイトガリバーを抑えてオークスの母子制覇(母ダイナカールもオークス馬)を達成しています。

この年から3歳限定だったエリザベス女王杯が古馬に解放されることになり、その代わりとして、牝馬クラシックの3冠目として秋華賞が創設されました。エアグルーヴが断然の人気でしたが、初代秋華賞馬となったのは外国産馬のファビラスラフィンでした。

この年はNHKマイルカップが創設された年で、当時はまだ外国産馬にクラシック出走が許されていなかった(秋華賞を除く)ことから、「マル外ダービー」と言われるほどにNHKマイルカップは外国産馬ばかりが出走するレースとなりました。初代王者は、1番人気ファビラスラフィンではなく、弥生賞でダンスインザダークに負けていた外国産馬タイキフォーチュンでした。1分32秒6という当時としては驚異的なタイムで勝ったことから、外国産馬の強さをまざまざと見せつけられたレースでした。

そして、そんな中で奇跡が起こります。しかも2度も

それでは、その奇跡のレースを名実況とともに見ていきましょう。

和製ラムタラ誕生 1996年日本ダービー

皐月賞を回避したダンスインザダークでしたが、依然としてこの世代のトップはこの馬だと目されていました。前哨戦のプリンシパルステークスを持ったままで圧勝し、満を持して1番人気でダービーに出走します。しかし、勝ったのはこの馬ではありませんでした。

勝ったのは、「和製ラムタラ」ことフサイチコンコルドです。ラムタラとは、1995年に無敗の4戦4勝で欧州三冠(英ダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS、凱旋門賞)を制した奇跡の馬です。

なんと、新馬戦とすみれテークス(OP)を勝っただけの2戦2勝の馬が抽選を潜って出走し、デビュー3戦目で世代の頂点を決めるダービーを勝ってしまったのです。

では、JRA公式チャンネルの動画で実際のレースをご覧ください。

YouTube 1996年日本ダービー(JRA公式チャンネル)

このレースも、是非フジテレビの三宅正治アナウンサーの名実況でご覧いただきたいです。(非公式の動画はいくつかアップされています)。

先頭はダンスインザダークか?コンコルドだ!コンコルドだ!外から音速の末脚が炸裂する!フサイチコンコルド!

フジテレビ 三宅正治アナウンサー

好位から直線で早めに抜け出したダンスインザダーク。少し早いか?とも思われましたが、鞍上の武騎手は自信があったのでしょう。

そこへ、後ろから妖しく迫る鹿毛の馬体。それがフサイチコンコルドでした。

一完歩、一完歩差をつめ、ゴール手前でまさに「音速の末脚」というフレーズがぴったりの鮮やかな差し切りを決めました。

思わぬ伏兵と後輩の藤田伸二騎手に足をすくわれた武豊騎手は、念願のダービー初制覇を果たすことができませんでした。

奇跡の脚 1996年菊花賞

ダービーを逃したダンスインザダークと武豊騎手。

前哨戦の京都新聞杯を制し、ダービーの雪辱を果たすべく菊花賞に出走しました。

菊花賞では、先にフサイチコンコルドが抜け出し、そこへロイヤルタッチが並びかけますが、そこにダンスインザダークの姿は見えません

思わず実況の杉本清アナウンサーは「ダンス、ピンチか?」と叫んでしまいます。

ゴールまであと200mとなったところで、なんと後方にいたダンスインザダークが内から馬群を縫って凄い脚で追い込んできました

では、こちらもJRA公式チャンネルの動画で実際のレースをご覧ください。

YouTube 1996年菊花賞(JRA公式チャンネル)

このレースも、やはり杉本清アナウンサーの名実況でご覧いただきたいです(非公式の動画はいくつかアップされています)。

おーっと、ダンス来た!ものすごい脚だ、ダンスインザダーク!ロイヤルタッチ!ダンスインザダーク!ダンス交わした!ダービーの無念を晴らした!

関西テレビ 杉本清アナウンサー

結果的には上がり3ハロン33.8秒という菊花賞では信じられない脚でダンスインザダークが差し切り勝ちを収めました。

あまりの豪脚に、実況の杉本アナウンサーもダンスが一体どこから来たのか一瞬分からなかったようで、驚きを隠せない率直な言葉遣いも筆者は好きです。

しかし、この奇跡の末脚が災いしたのかダンスインザダークは故障してしまい、このレースを最後に引退してしまいました。

2歳戦線

1996年 2歳戦線

2歳戦線は、一転してサンデーサイレンス産駒が影を潜めてしまい、代わりにメジロライアンのファーストクロップたちが活躍します。

メジロドーベルが阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュヴェナイルフィリーズ)を勝てば、同郷のメジロブライトがラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝つなど、メジロライアン産駒ということもあって「メジロ牧場の復活か?」(注:メジロマックイーン以降しばらく活躍馬がいなかったため)と言われていました。

そのメジロドーベルが勝った阪神3歳牝馬ステークスで一番人気だったシーキングザパールは、翌年に無双することになりますが、この年もデイリー杯3歳ステークスで2着のメジロブライトに5馬身差をつけて勝つなど、その片鱗を見せていました。

一方、朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティステークス)を勝ったのはブライアンズタイム産駒のマイネルマックスでしたが、この世代はブライアンズタイムの当たり年で、来年のクラシックでもブライアンズタイム産駒が大活躍することになります。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

相関図と名実況を見たり聞いたりしながら振り返ると、その頃の競馬の状況がよく分かったのではないでしょうか。

この記事を書きながら、我ながら「いい記事が書けた」と思ってしまいました。

次回は1997年の競馬を振り返ってみたいと思いますので、是非そちらもご覧ください!

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